akimichi_9988のブログ

日記なり備忘録なりにしてきます!

No.16_床屋さんにあるあれ・・・

前回のお話⤵︎

akimichi88.hatenablog.com

 

 

お題「子どもの頃に勘違いしていた、ちょっと恥ずかしいこと」

 

 私の実家の近くには徒歩2〜3分で通える床屋さんがあります。

 親から1000円をもらい、カットと顔・眉そりをしてもらっていました。終わると120円のお駄賃をもらい、外の自販機で飲み物を買うという、とてもお得な時間でした笑。

プリンシェイク美味かったな〜〜〜今はあるかな?)

小学校から野球をしていたので、勿論、坊主一択(今はそんな時代ではないですね笑)。

 

前置きはここまで。。。

 家の近くの床屋さんもそうですが、街中でも「クルクル回っているもの」ありませんでしたか?

 

そうです「サインポール」です。

 

サインポールの歴史は「中世ヨーロッパ」までに遡るようです。

 

 理容店の看板の「赤・白・青」のあの3色は、かつて理容師が外科医を兼ねていたことに起因しています。
中世のヨーロッパでは、理容師の仕事は髪をカットしたり髭をシェービングすることにとどまらず、歯の治療や傷の手当てまでを行う「理容外科医」という職業でした。7、8世紀頃には既に職業化していたそうですが、理容の歴史は、後に医学が発達するようになり、外科が医学の分野として記録されるようになった12、3世紀頃から外科医史に登場します。
その当時のポピュラーな治療法のひとつに、『瀉血(しゃけつ)』がありました。その様子は、14世紀に出版された「ラトレルの聖詩篇」に描かれていますが、これは「身体の悪い部分には悪い血が集まる」という考えから、その部分の血を抜き取るという治療法でした。
治療に際しては、患部を切開して血を抜き取る際に、患者に棒を握らせ、腕を固定し、そこを伝って受皿に落ちていくようにしていましたが、術後に血のついた棒をそのままにしておくのは衛生上好ましくないとのことから、その棒を赤く塗って使用するようになりました。
その棒は、barber-surgeon’s pole(理容外科医の棒)と呼ばれ、後にbarber’s poleつまり理容店の棒と呼称されるようになったといわれています。
治療が終わった後、洗浄したその棒と傷口に巻いた包帯を店の軒先に干していたところ、風に吹かれてその包帯が瀉血棒に螺旋状に巻き付き、バーバーポールが転じて理容店の看板・サインポールの原形になったと言われています。
後に、1745年にイギリスで、理容師のユニオン(組合)と外科医のユニオンが分裂した際に、外科医は赤白に、理容師は青を加えることが定められたため、理容店の看板が今日の赤・白・青の3色になったといわれています。
この他にも、ナポレオンが最終的敗北を被ったワーテルローの戦い(1815)の際、野戦病院の入口にフランス国旗を旗棒に巻き付けておいたものが、そのはじまりとする説もありますが、年代的にみて「瀉血棒説」の方が確実で信憑性の高いものであるようです。

(理容店の看板~赤・白・青の謎~ | 全国理容生活衛生同業組合連合会)から引用

 

というように、サインポールにも歴史があります。大変勉強になりますね。

 

「サインポール」って、その場でぐるぐる回っていますよね。中学校に上がるまでは、下→上に向かって上がっていき、上→下の順番に戻って、また上に上がるものと思っていました。えー、、、、どこから下に向かうんだろうと1人車の中で悶々と耽っていた時がありました。瞬間移動?小さいコードあるのかな?などなど

 

今思えば、単純に回っているだけなのに、なぜかすごい想像力を働かせてたな〜と笑

子どもの想像力はすごいです!!ちょっと恥ずかしいですが笑笑

 

ではまた🖐️

 

昨年研究室の方々と行った松本城